米百俵まつり(読み方:こめひゃっぴょうまつり)は、新潟県長岡市で、毎年行われます。
最大の見どころは越後長岡時代行列(読み方:えちごながおかじだいぎょうれつ)で、大手通りステージから出陣し、匠橋交差点まで練り歩きます。
戊辰戦争・長岡城奪還時の、長岡藩隊編成を再現しているそう。
米百俵まつり・越後長岡時代行列編成
▼第1軍
山本帯刀(やまもとたてわき)隊、川島億次郎(かわしまおくじろう)隊
▼第2軍
三間市之進(みつまいちのしん)隊
▼第3軍
花輪求馬(はなわきゅうま)隊
▼本陣
軍事総督・河井継之助(かわいつぎのすけ、河井家第8代当主)隊
▼本陣
牧野忠訓公(まきのただくにこう、牧野家第12代藩主)隊
牧野忠恭公(まきのただゆきこう、牧野家第11代藩主)、つね姫
▼第4軍
牧野図書(まきのずしょ)隊
▼西軍(長州・薩摩・土佐隊)
山県狂介(やまがたきょうすけ)、黒田了介(くろだりょうすけ)、西園寺公望(さいおんじきんもち)、岩村精一郎(いわむらせいいちそう)
米百俵まつり・越後長岡時代行列のスケジュール
▼日野新選組(ひのしんせんぐみ)
パレード隊による殺陣、立ち回り、土方歳三(ひじかたとしぞう)
▼小千谷談判(おぢやだんぱん)の演技
1868年(慶応4年:けいおう)5月2日、長岡藩家老の河井継之助と、新政府軍監の岩村精一郎が、慈眼寺(じげんじ)で和平交渉をする場面を再現。
▼越後長岡時代行列
▼戊辰戦争(殺陣、立ち回り)
▼米百俵の演技
戊辰戦争で焦土化した長岡に、三根山藩(みねやまはん)から届けられた百俵の米を、大惨事(だいさんじ:家老に相当し、現在なら副知事)の小林虎三郎(こばやしとらさぶろう)は、教育こそが人々の生活を良くするとして、分配せず売却して資金を作り、国漢学校(こっかんがっこう)の整備に充てた故事を再現。
米百俵まつり・越後長岡時代行列の始まりや由来、歴史、起源は?
8月に開催される長岡祭りの、2日目に行われていた武者行列が、2002年から独立して越後長岡時代行列と名称が変わり、秋の収穫祭と一緒に行われるようになり、現在に至るそう。
米百俵まつり・越後長岡時代行列は、いつ行われるの?
毎年10月第1土曜日(日付は毎年変動する)に行われます。
米百俵まつり・越後長岡時代行列の場所・住所(アクセスと駐車場)
新潟県長岡市大手通り周辺
▼自動車
関越自動車道長岡ICより約13分
大手通り地下駐車場(有料)があります。
▼電車
JR信越本線・上越新幹線長岡駅より徒歩4分