盛岡八幡宮例大祭・神事南部流鏑馬(読み方:もりおかはちまんぐうれいたいさい しんじなんぶやぶさめ)は、岩手県盛岡市にある、盛岡八幡宮の例大祭で、毎年行われます。
馬上から的を弓で射る射手奉行(しゃしゅぶぎょう)は、長さ約400mの直線馬場(ばば)を駆け抜けながら、3つの的(杉板)を狙います。
その後に続いて、介添奉行(かいぞえぶぎょう)が「よう射たりや」と連呼しながら射手の後を駆け抜けていきます。
介添奉行は、孫が見事命中させた際、それを見た祖父が喜びの余り「よう射たりや」と叫んで馬場を疾走したのが元となっているそうです。
射手奉行は3回の走りを繰り返し、的を合計9回狙います。
馬場の両側には埒(らち)が設けられ、進行方向の左側に的があり、的側は男埒(おらち)と呼び、反対側は女埒(めらち)と呼びます。
盛岡八幡宮例大祭・神事南部流鏑馬の服装
舟型侍烏帽子(ふながたさむらいえぼし)、鎧直垂(よろいひたたれ:鎧の下に着る着物)、赤地錦の牡丹唐花(ぼたんからはな)の法被、虎の行縢(むかばき:虎の皮で作られる)、箙(えびら:矢を入れる容器)、沓(くつ)
和鞍(わぐら)、和鐙(わあぶみ)を使います。
盛岡八幡宮例大祭・神事南部流鏑馬の始まりや由来、歴史、起源は?
遠野南部氏4代・南部師行(なんぶ もろゆき)が1335年(建武2年:けんむ)に、鎌倉鶴岡八幡宮にならい青森県八戸市にある櫛引八幡宮(くしひきはちまんぐう)へ奉納したことが、遠野南部流鏑馬の起源とされます。
1681年(延宝9年:えんぽう)に盛岡八幡宮が建てられ、例祭の中心神事として行われたのが始まりです。
現在行われているものは、1950年(昭和25年)に復興されたもの。
盛岡八幡宮流鏑馬神事は、1988年(昭和63年)7月1日に、盛岡市無形民俗文化財に登録されています。
盛岡八幡宮例大祭・神事南部流鏑馬は、いつ行われるの?
毎年9月16日、例大祭の最終日に行われます。
盛岡八幡宮の場所・住所(アクセスと駐車場)
岩手県盛岡市八幡町13−1
▼自動車
盛岡駅より約13分、東北自動車道盛岡ICより約15分
専用駐車場は有りますが、周辺にも有料駐車場・コインパーキングがあります。
▼バス
厨川中央線「八幡宮前」(約15分)で下車すぐ
流鏑馬はこちら