高田馬場流鏑馬(読み方:たかたのばばやぶさめ)は、東京都新宿区にある、穴八幡宮(あなはちまんぐう)の神事(しんじ)として、都立戸山公園箱根山地区(とりつとやまこうえんはこねやまちく)で毎年行われます。
弓馬術礼法小笠原教場(きゅうばじゅつれいほうおがさわらきょうじょう)が奉納します。略称(小笠原流)。
馬上から的を弓で射る射手(いて)は、長さ約200mの直線の特設流鏑馬馬場(ばば)を駆け抜けながら、3つの的を狙います。
矢を番える(つがえる)動作の間に、「陰陽(いんよー)」という声を発します。
スタート地点を馬場元(ばばもと)と呼び、一の的(いちのまと)、二の的(にのまと)、三の的(さんのまと)、ゴール地点を馬場末(ばばすえ)と呼びます。
的は一辺約55cm(一尺八寸)の杉板。
馬場の両側には埒(らち)が設けられ、進行方向の左側に的があり、的側は男埒(おらち)と呼び、反対側は女埒(めらち)と呼びます。
高田馬場流鏑馬・小笠原流流鏑馬の服装
▼鎌倉時代の狩装束
綾藺笠(あやいがさ:いぐさを編んで裏に布を張った笠)、立烏帽子(たてえぼし:高く立てたままで折らない)、鎧直垂(よろいひたたれ:鎧の下に着る着物)、行縢(むかばき:鹿の夏毛で作られる)、射籠手(いごて:弦が袖に当たるのを防ぐ)、太刀、前差し(まえざし)、弦巻(つるまき)、箙(えびら:矢を入れる容器)、物射沓(ものいぐつ:革製のくつ)
雁股矢(かりまたや:矢の先が股を開いたように分かれた形状のもの)を射ます。
▼江戸時代の軽装束
騎射笠(きしゃがさ:竹を編んで漆塗りにしたもの)、筒袖(つつそで:和服の袖の形)の紋付(もんつき:家紋の入った着物)、小袴(こばかま:すその短い狩り用の袴)
鏑矢(かぶらや:先端に卵型で中が空洞の武具を付けたもの)を射ます。
※和鞍(わぐら)、和鐙(わあぶみ)、和銜(わばみ)を使います。
高田馬場流鏑馬の始まりや由来、歴史、起源は?
1728年(享保13年:きょうほう)に、徳川吉宗(とくがわよしむね:江戸幕府第8代将軍)が世継ぎの病気回復の祈願で、穴八幡宮に奉納したのが始まりです。
明治維新以降は中断され、1934年(昭和9年)に皇太子(現上皇)誕生祝いに再興され、数回行われたものの戦争により中断。
1964年(昭和39年)に、水稲荷神社(みずいなりじんじゃ)で復活し、1979年(昭和54年)に都立戸山公園へ会場を移し、現在へ至る。
高田馬場の流鏑馬として、1988年(昭和63年)3月4日に、新宿区指定無形民俗文化財に登録されています。
高田馬場流鏑馬は、いつ行われるの?
毎年10月第2月曜日のスポーツの日(日付は毎年変動する)に行われます。
都立戸山公園箱根山地区の場所・住所(アクセスと駐車場)
東京都新宿区戸山3−2
▼電車
JR山手線新大久保・高田馬場駅より徒歩約22分
東京メトロ東西線早稲田駅より徒歩約10分、高田馬場駅より徒歩約22分
東京メトロ副都心線西早稲田駅より徒歩約8分
都営地下鉄大江戸線若松河田駅より徒歩約15分
▼自動車
専用駐車場はなく、自転車も置けません。
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