大荒比古神社七川祭・流鏑馬(読み方:おおあらひこじんじゃしちかわまつり やぶさめ)は、滋賀県高島市にある、大荒比古神社の七川祭で、毎年行われます。
以前は馬上から矢を的へ向かって投げていたそうですが、2014年より、弓馬術礼法小笠原教場(きゅうばじゅつれいほうおがさわらきょうじょう)が奉納する事になり騎射となりました。略称(小笠原流)。
馬上から的を弓で射る射手(いて)は、長さ約300mの直線の特設馬場(ばば)を駆け抜けながら、一の的(いちのまと)二の的(にのまと)、三の的(さんのまと)、3つの的を狙います。
矢を番える(つがえる)動作の間に、「陰陽(いんよー)」という声を発します。的は一辺約55cmの杉板。
馬場の両側には埒(らち)が設けられ、進行方向の左側に的があり、的側は男埒(おらち)と呼び、反対側は女埒(めらち)と呼びます。
※流鏑馬の前に露払いとして、裃(かみしも)を着て、手に約60cmの青竹を持ち駆け抜ける、素走が行われます。
大荒比古神社七川祭・流鏑馬・小笠原流流鏑馬の服装
▼鎌倉時代の狩装束
綾藺笠(あやいがさ:いぐさを編んで裏に布を張った笠)、狩衣(かりぎぬ)、行縢(むかばき:両脚の覆いで佐々木家の家紋「四ツ目」入り)、籠手(こて)、箙(えびら:矢を入れる容器)、物射沓(ものいぐつ:革製のくつ)
鏑矢(かぶらや:先端に卵型で中が空洞の武具を付けたもの)を射ます。
和鞍(わぐら)、和鐙(わあぶみ)、和銜(わばみ)を使います。
大荒比古神社七川祭・競馬とは?
各地域から役馬を1頭ずつ奉納(7頭)し、浴衣に袴姿で社名旗を背負い、流鏑馬の後に馬場を駆け抜けます。
大荒比古神社七川祭・流鏑馬・競馬の始まりや由来、歴史、起源は?
780年ほど前に、地域を治めていた佐々木高信(ささきたかのぶ)が、出陣の必勝祈願を行い、戦勝祝いとして流鏑馬12頭、的12基を奉納し、行列をしたのが始まりと言われているそう。
大荒比古神社七川祭・流鏑馬・競馬は、いつ行われるの?
毎年5月4日に行われます。
大荒比古神社七川祭・流鏑馬・競馬・桟敷席(さじきせき)
観光客の増大によって、桟敷席(有料観覧席)が設けられるようになり、1席の広さは約幅1.5×1.5mで5~6人が観覧可能。
※参考価格(詳しくは公式HPで確認してください)
1席あたり1万円で、過去に売り出されています。
大荒比古神の場所・住所(アクセスと駐車場)
滋賀県高島市新旭町安井川844
▼自動車
北陸自動車道敦賀ICより約47分
名神高速道路京都東ICより約49分
※七川祭の際は、無料の臨時駐車場が約1.2km離れた場所に設けられます。
▼電車
JR湖西線新旭駅より車で約6分
▼バス
JR湖西線新旭駅より江若交通新旭西循環線「井ノ口」下車、徒歩約10分
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