出雲伊波比神社・流鏑馬(読み方:いずもいわいじんじゃ やぶさめ)は、埼玉県入間郡毛呂山町にある出雲伊波比神社の春季大祭(3月)、秋季大祭(11月)で、毎年行われます。
出雲伊波比神社・春の流鏑馬とは?
7つうちは神の子とされる、6歳までの男児が乗り子(のりこ)を務め、矢取(やとり:放たれた矢を回収する役)・口取り(くちとり:馬を引く役)と一緒に、街を歩きながら神社へ向かいます。
お祓いを受けたあと、境内にある直線馬場(ばば)を3回往復し、3回目に鏑矢(かぶらや:先端に卵型で中が空洞の武具を付けたもの)を、停止した馬上から的に向けて1度だけ放つ、願的(がんまとう)の儀が行われます。
※乗り子の頭上にはオカイドリと呼ばれる、打掛(うちかけ:和服の一種)が竹に掲げられます。オカイドリは母親を表し、息子を見守るという意味だそう。
出雲伊波比神社・秋の流鏑馬とは?
各地区が輪番制で、15歳前後(小学校高学年から中学生位まで)の少年が、各地区から1名ずつ合計3名が選出され、乗り子を務めます。
※第一祭礼区(毛呂本郷)、第二祭礼区(小田谷、長瀬)、第三祭礼区(岩井、前久保)、さらに祭馬区に細かく分かれています。
筆頭(一の馬)は源氏を表す白色、二の馬は藤原氏を表す紫色、三の馬は平氏を表す赤色が使われます。
出雲伊波比神社・秋の流鏑馬(朝的:あさまとう)とは?
午前9時から行われる陣道(じんみち)は、陣笠(じんがさ)、陣羽織(じんばおり:背中に一、二、三と書かれています)姿で、3頭が約200mの直線馬場を1往復します。
陣道を終えた後、陣笠を立烏帽子(たてえぼし:高く立てたままで折らない)に変え、1回ずつ走行しながら1つの的を射て、さらに2回ほどムチを持って(振りながら)走ります。
※的は藁で作られていて、刺さるように先が尖った矢を射ます。
出雲伊波比神社・秋の流鏑馬(夕的:ゆうまとう)とは?
午後は的宿(まとうやど:本陣)から乗り子が正装し、矢取・口取り(ホイホイとかけ声を出す)と一緒に出陣し、町を回りながら神社へ向かいます。
神社下で、馬の口すすぎ、爪切り(房のついた爪切り棒で蹄を払う)を行い、あげ馬(出雲伊波比神社へ向けてのぼる)を行い、馬場に入ります。
■願的
一の馬(白色)だけ馬場を3往復し、3往復目に静止した状態で馬上から、一の的に一度だけ射ます。先端に神頭(じんどう)という、木がついた矢を使います。
願的のあと、陣道(1往復)を行います。
■矢的(やまとう)
一の馬から順番に各3回ずつ馬場を走行し、3つの板的を狙います。
■馬上芸
矢的が終わった後は、馬上芸が披露されます。
▼センス
走行しながら、口に扇子を加え、両手に持った扇子を開きます。
▼ノロシ
白紫赤の長い紙を両手それぞれに持って広げ、風になびかせながら走行します。
▼ミカン
走行しながら、懐からミカンを取り出し撒きます。
▼ムチ
篠竹(しのだけ)で作られた、白紫赤で彩られたムチ(棒)を左右に持ち替え、上下に振りながら走行します。
▼モチ
走行しながら、懐から餅を取り出し撒きます。
出雲伊波比神社・流鏑馬の服装
基本は陣笠、陣羽織、袴、足袋。
正装は、花笠(はながさ:白紫赤の飾りつき)、馬印(うまじるし)、母衣(ほろ:馬が駆けると長い布が膨らみ、背面からの流れ矢を防いでくれる)、太刀、袴。
和鞍(わぐら)、和鐙(わあぶみ)を使います。
出雲伊波比神社・流鏑馬の始まりや由来、歴史、起源は?
1063年(康平六年:こうへい)に、源義家源義家(みなもと のよしいえ)公が奥州征伐戦勝の御礼に奉納したことが起源とされます。
出雲伊波比神社のやぶさめとして、1958年(昭和33年)3月20日に、埼玉県指定無形民俗文化財に登録されています。
出雲伊波比神社・流鏑馬は、いつ行われるの?
春の流鏑馬は毎年3月第2日曜日(日付は毎年変動する)に行われます。
秋の流鏑馬は毎年11月3日に行われます。
出雲伊波比神社の場所・住所(アクセスと駐車場)
埼玉県入間郡毛呂山町岩井西5−17−1
▼自動車
関越自動車道坂戸西スマートICより約15分
10台ほど専用駐車場があります。
▼電車
JR八高線毛呂駅より徒歩約5分
東武鉄道越生線東毛呂駅より徒歩約10分
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